2011-08-23

病気と明るく強く闘う、れいこ
【第56~57日目: 8月22~23日(月~火)】


6月28日に始まったれいこの闘病記、56~57日目です。
(初めての方は、まず初日・6月28日のエントリーをご覧ください)


○祝!退院!!

先日のエントリーに書きましたとおり、退院しました!

19日(金)の夜から22日(月)の午前まで、外泊のカタチになっていましたので、実質は19日(金)に退院したようなものですけれど。



22日(月)は外泊後、提携病院での最後の放射線治療に行きました。
その後、入院していた大阪市立総合医療センターへ戻り、主治医の先生や看護師さんたちと簡単に話をしました。

後述しますが、この日提携先の病院で、とてもいい検査結果が出たことを伝えると、皆さん自分のことのように喜んでくださいました。


最後に、れいこから先生方に一人ずつ、写真と手紙を渡して挨拶をしました。
寂しいけれど、今度こそ、病院とはお別れです。

大阪市立総合医療センターの皆さん、本当にありがとうございました!
<主治医の先生とは、外来のお付き合いがずっと続きますけれど。


帰りは、「れいこ お助け隊」の大学時代の友人夫婦が、病院から自宅まで送ってくれました。
滋賀まで帰省のついでに、とのことで、完全な遠回りをさせてしまいました。
迷惑をかけましたが、久しぶりに会えた友人とのひとときも、楽しいものでした。




○最高の検査結果

この日、都島放射線科クリニックでの最後の治療(25回目!)が行われました。

治療後、すぐにMRI検査を行いました。
当日すぐに検査の結果を伺うことができたのですが、それは望外のものでした。

「予想もしなかったぐらい、いい状態」とのことです。


2週間前の検査でも、「非常にいい」と言われましたが、今回はさらにいい状態だったようです。予想を超えて、腫瘍が縮小していることが見受けられるそうです。
麻痺している左半身の手足のコントロールも少し利き始めたこともあり、想像以上の回復ぶりのようです。

今後は治療もそうですが、れいこの免疫力など、本人のチカラによるところが大きいそうです。



さらに嬉しかったのは、クリニックのO院長のお言葉です。
これだけ治療の効果が見られると、病理診断(*)が、嬉しい方に間違えている可能性すらある、とのことでした。

(*)【病理診断】

この場合、腫瘍組織を採って調べた、2度目の手術を指します。この病理診断で、病名・進行状況を判断します。

以前の病理診断の結果は、「神経膠腫(しんけいこうしゅ)」のうち「膠芽腫(こうがしゅ)」、いわゆる悪性腫瘍でした。
しかも、WHOの定める4段階評価でも、最悪のグレード4との見立てでした。

非常に生存率が低く、難病中の難病です。



もともと、入院先の大阪市立総合医療センターを選んだのは、ここのH先生のお話を伺ったからです。「通常なら脳幹中央にできる腫瘍が、横の方に伸びていて、一縷の望みがある」といったものでした。
いくつかの病院を検討した中、この一縷の望みに託し、H先生にれいこを預けようと決めたのです。


O院長によると、病理診断は100%正確とは言い切れない、とのことでした。
いわく、「腫瘍のごく一部だけを取り出して、全体像を判断する。いわば、動物の尻尾だけ触って、どの動物かを調べるようなもの」だそうです。
おおむね正確ではあるけれど、中には判断と事実が異なることも、ないわけではないそうです。


もしかすると、ではありますが。
病理診断の結果よりも、実際は少しはマシな状態であるのかもしれません。O先生は、「こうなると、最初のH先生の見立て通りなのかもしれませんね」とのこと。

本当に、ごくわずかではありますけれど、かすかな光が射してきた思いです。


さらに、れいこには思わぬ嬉しいことが、ありました。放射線治療の終了後、O院長から、表彰状を頂いたのです。



一ヶ月以上に渡り、大人でも珍しい70グレイという強い放射線を浴び続けてきた、れいこ。そのれいこの頑張りに対して、この計らい。何とも言えず、粋な病院です。


今後、れいこの外来治療は、大阪市立総合医療センターとこのクリニックの両方で、続けられます。両方の主治医の先生が連絡を密にしながら、れいこを診てくださいます。
この先生方にであれば、今後も安心してれいこをお願いすることができます。


れいこはきっと、元気になる。
私たちは、本気でそう信じています。




<●最後に、れいこへ。>

れいこへ。

改めて、退院おめでとう、れいこ。
こんなに元気で早く退院できるとは、思ってなかったよ。



宝塚市立病院に駆け込んだ日に、余命1年と言われたんよな。目の前が真っ暗になって、お父さんは、ベッドに寝かされてしまった。

その数日前から、ずっと寝続けているような状態やったけんなあ。
即刻入院、即日手術になったあの日には、2ヶ月後にこんな笑顔を見せてもらえるとは、思えんかった。


昨日、O院長がおっしゃった「予想もしなかったぐらい、いい状態」という言葉に、お父さん・お母さんがどれくらい喜んだか、お前には判らんやろうなあ。


病院で絶望的な診断を聞いたときも、お父さんたちは、れいこのいない家を考えることができんかった。今でも、れいこのいない井上家なんて、想像することもできん。
これは、お父さんもお母さんも、一緒の思いだ。

医学や統計の上では、お前に残された時間は、1年か2年なのかもしれん。
でも、お父さんには、とてもそうは思えんのよな。


今回の検査結果で、ほんのわずかな光が、射してきた。
それよりも、かすかな光が、またちょっと強くなった、と言うべきかな。


お前が大きくなったときに、このブログを読ませたい。
家族みんなで笑ってこのブログを読んで、「あのときは、お父さんも泣いちゃってねえ」なんて言える日が来るように。
お前が元気になって、ずっと家族といられるように。


本当に、ただただそのことだけを願っているよ、れいこ。

 

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