2018-02-13

「司書」って誰のこと?

新年の抱負前回記事で新聞のことばかり書きましたが、今日は違う話を。

イメージ画像:緑の道



★「司書」という言葉


このブログをご覧くださっている皆さんなら、「司書」という言葉はお馴染みでしょう。
関係者は専門職といったニュアンスで、「司書が責任を持ってやらないと」、「選書は司書が行うべき」、「行政職ではなく司書の採用が必要」などと口にしているように感じます(特に公共・学校図書館で、多い印象です)。

こうした意味合いで「司書」という言葉が使われるとき、私はいつも考えてしまいます。
「司書」とは、誰を指しているのでしょうか?



★質的担保は?


普通に考えれば、司書資格を持った人を意味するのでしょう。もちろん私も、資格そのものを否定する訳ではありません。

ですが、そこに十分な質的担保や社会的評価が伴っているのか、ということを私は懸念せずにいられません。
単に資格を持った人を指しているのであれば、上例のように専門職を意味する文脈とすることが適切とは思えないのです。

並大抵ではない専門的知識や知見を有し、難関試験を突破しての資格であれば、社会も認めるでしょう。
ですが残念ながら、現行の司書資格はそうしたものではありません(だからこそ、認定司書などの試みが重ねられてきたのでしょう)。

厳しい言い方をするなら、たった20単位程度しか要さず毎年1万人も取得できる程度の資格(※)をもって、自分たちの専門性の根拠にすることには、明らかに無理があります。

(※)JLA「日本の図書館情報学教育」2005年版によれば、司書資格取得者は年間10,898人とされます(古い統計ながら、現在と極端に異なるものではないと思われます)。

イメージ画像:緑の公園



★自覚的であれ


では私たちは、「司書」という言葉を用いるべきではないのでしょうか?
私は、そうは言いません。むしろ逆で、自分たちの持つ資格に対して拘りや自尊心・気概を持つことは、プロとして重要と考えます。

「司書が責任を持ってやらないと」、と口にしていいのです。
ただし「司書」という言葉を使うときには、その言葉が本来意味するところに対し、誰より私たち自身が自覚的であるべきです。

単に資格を取った人を指してではなく、資格を取得した上で十二分な研鑽と経験を重ね続けているライブラリアンを指して、初めて「司書」と呼ぶべきでしょう。
結局のところ、これは私たちのプロ意識の問題なのです。

繰り返しますが、研鑽と経験を重ねてこそのプロであり、専門職です。
私たちが実力を身に付け、そうした意味でのみ「司書」という言葉を使うようになって初めて、私たちは社会から専門職と評価される資格を得るのではないでしょうか。

わざわざ自分たちで専門職と言わなくても、社会が自然とそう評価し、そう思ってもらえる魅力的な図書館をみんなで創っていきましょう!



●れいこと

最後にまた、れいこ&きょーこの話を。

先日きょーこは、4歳半になりました。
ここまで、本当に健やかに育ってくれています。

おサルの被り物をしたきょーこ

大学生のお兄ちゃんが手を離れた今、私たちの願いは、きょーこが健やかに育つことだけ。
このまま元気に育ってくれれば、それだけで構いません(その割に、毎日しょーもないことでブツブツ言ってしまいますが・・・)。

いつかきょーこが、れいこのことを分かるようになり、年齢も追いつく日が来るのでしょう。
それを考えると複雑な気持ちですが、今はきょーこに毎日元気に過ごしてもらえるよう、両親ともども頑張ります!