2012-06-13

星になった、れいこ
【第1~8日目: 6月6日(水)~13日(水)】(発症から、345~352日目)

2011年6月28日に始まったれいこの闘病記。
残念ながら、発症345日目の2012年6月6日(水)に、とうとう幕を下ろすことになりました。今まで応援くださった皆さま、本当にありがとうございました。


○最後の夜

れいこは、6月6日(水)未明、星になりました。

5月27日(日)に、外泊先の自宅から病院まで救急車で運ばれてから、急激に容態が悪化していました。以来、喋れず、手足もほとんど自由に動かせない状態が続いていました。
当日もこのような状態ではありましたが、容態は悪いなりに安定していました。就寝するまでは見舞客も続いており、かすかに手を握り返すこともありました。


容態が変化したのは、22時半を過ぎた頃でした。
ゼイゼイとひどく呼吸が乱れ、ときどき数秒息が止まっては、ブハッと息を吐き出すような様子になりました。呼吸そのものが難しい様子で、医師からは家族を呼ぶように言われました。
私たち一家のほか、松山のお婆ちゃん、大好きだった担任の先生も駆け付けてくれました。

れいこはいったんは落ち着いたのですが、日が変わってから、今度はとても呼吸が浅くなりました。脈も弱くなり、病院の先生たちは、私たちだけにしてくれました。

そして1時14分頃、れいこは眠るように息を引き取りました。


れいこの死に顔は、とてもきれいで穏やかでした。頑張り屋さんのれいこらしく、最後まで頑張っていましたので、自分なりに納得していたのかもしれません。

きっとれいこは、今ごろ天国にいるのでしょう。今までできなかった、喋ること、食べたり飲んだりすること、走ったりすることを、楽しんでいるのでしょうか。

れいこは最後に、涙をポロリと、2粒だけ流しました。
もっと生きたかったのでしょう。元気になりたかったのでしょう。家族を置いてこの世を去ることが、悲しく寂しかったのでしょう。
もう苦しまなくていいんだよ、と思うと涙がとめどなく流れました。



○お別れ会

れいこが星になったのが、6月6日(水)未明。
翌7日(木)に通夜を、翌々日8日(金)に告別式を行いました。


通夜・告別式はいずれも、れいこが一番望む形にしてやることにしました。
れいこの親しい人たちにメッセージをたくさん頂き、参加者お一人お一人に献花と、れいこへのお声がけを頂くようにしました。


 れいこへの弔辞も、れいこが大好きだった方々にお願いしました。
担任の先生、習字教室の先生、メイク・ア・ウィッシュのご担当さん、空手道場の館長、通っていた保育園の園長先生。お一人お一人がれいこを、ご自分の言葉で送ってくださいました。

弔電の読み上げも、れいこが知っている人から頂いたものにしました。
職場や公的機関、市議の方からもいろいろと弔電を頂きましたが、れいこのお世話になった方々を優先しましたこと、ご容赦ください。
無宗教方式としたり、お香典を辞退するなど、れいこの気持ちに副った形にしたつもりです。失礼も多々あったかとは思いますが、ご容赦ください。



通夜・告別式には、合計で700人以上の方々がご参列くださいました。
この会場で一番大きな1階ホールを使用したのですが満席となり、通夜はモニター会場となる2階ホールにも入りきらず、廊下まで人が溢れていたそうです。
当日は多くの花や品々や80件以上の弔電も頂き、いかにれいこが愛されていたのかを実感しました。


告別式には、地元小学校の6年生全員が参列してくれました。
一人一人が折り紙にれいこへの手紙を書き、それを折り鶴にして、お棺に入れてくれました。また、れいこの名前に、みんなの名前を寄せ書きした看板も送ってもらいました。これらはお棺に入れ、れいこに持たせてやりました。


泣きじゃくる子、れいこに言葉をかける子、じっと悲しみを堪える子。それぞれの子どもたちなりに、れいこを見送ってくれました。


大勢の方々に送って頂いたおかげで、れいこは寂しい思いをせずに済んだと思います。ご参列くださいました皆さん、花やメッセージを贈ってくださった皆さん、本当にありがとうございました。

そして、Twitterやメールなどでれいこにお別れをしてくださいました皆さん、そっと陰で涙を流してくださった皆さん、本当にありがとうございました。皆さんの応援は、ずっと私たち一家を支えてくれました。
当日の喪主挨拶にて、ブログやTwitterを通じて多数の応援を頂きましたこと、そうした皆さんへも深く感謝していることを、お話させて頂きました。


そうそう、私の喪主挨拶が、とてもグダグダでしたことを、お詫びしなければいけませんね。
本当はもっと伝えたいこと、知って頂きたいことがあったのですが、言葉になりませんでした。ほとんど言葉にならず、聞き苦しい内容だったかとは思いますが、当日はあれが精いっぱいでした。お察し頂ければと思います。


告別式後の出棺は、「Immortal Brass Eternally(イモータル・ブラス・エターナリー)」さんと宝塚アカデミー音楽団さんが、生演奏でれいこを送り出してくださいました。
曲はれいこが大好きだった、いきものがかりの「ありがとう」でした。



Immortal Brass Eternallyさんは、つい先日Twitterでれいこのことを知り、演奏をお申し出くださったものです。生前にれいこを励ましたいとお申し出頂いたものですが、残念ながら間に合わず、急遽葬儀の際に演奏頂いたものです。

れいこの大好きだった「ありがとう」。 この曲はれいこから皆さんへのメッセージにもなり、私たちみんなかられいこへ贈る曲にもなったと思います。皆さんが涙を流しながら演奏してくださったメロディーは、本当に心を揺さぶる最高の音楽でした。私は今まで、これほど悲しみに彩られ、情感に満ちた音楽を聞いたことがありません。
Immortal Brass Eternallyさん、宝塚アカデミー音楽団の皆さん、本当にありがとうございました。


もう一つ、お礼を言っておかなければいけないことがあります。
出棺して会場の外へ出ると、保育園児と思しき子どもたちが、道端でれいこの車を見送ってくれていました。後で聞いてみると、れいこが通っていた最初の保育園の子どもたちで、かれこれ1時間も外で待っていてくれていたそうです。
年端もいかない子どもたちが、面識もないれいこのため、ずっと外で待っていてくれたことに、思わず涙があふれました。子どもたち、先生方、ありがとうございました。


大勢の方々にご参加頂いたこと、立派な音楽に送られたこと、様々なお花や供養の品に囲まれたこと。皆さんのおかげで、れいこも安らかな旅立ちが出来たと思います。
井上家一同、皆さんのお気持ちに本当に感謝しています。ありがとうございました。



○ありがとう、シューイチロー

今回、私たち一家が負った心の傷は、深く深く、そして大きなものです。
私たち両親だけではありません。お兄ちゃんのシューイチローも、ずいぶんと心に傷を負ったことでしょう。

ですがシューイチローは、今週から中学校にも戻り、授業や部活に励んでいます。通夜や葬儀のときには、受付にも立ってくれましたし、遺族として皆さんにもお礼を言ってくれました。シューイチローが頑張っているおかげで、私たちも何とか頑張れています。


お前も辛かったのに、いろいろとごめんな。お父さんらしい言葉の一つも、かけてやれなかったな。
でも、今回のことで、お前の成長を感じられたことは、嬉しいことでもあったんよ。

ありがとう、シューイチロー。 お前が、れいこのお兄ちゃんでいてくれて、本当に良かった。
これからもずっと、れいこのいいお兄ちゃんでおってやね。



○最後に

葬儀の後、大勢の方々と「ありがとう」の音楽に送られ、れいこはそのまま火葬場に向かいました。火葬後、れいこは小さくなって、わが家に帰って来ました。


わが家は、三人家族になってしまいました。
家にあるのは、れいこの遺影とお骨ばかりです。私たちは、もうあのれいこの笑顔を見ることはありませんし、手を握ってやることもできません。ただただ、悲しみがつのるばかりです。

通夜や葬儀のときには涙ばかりで、思いを言葉にもできなかった私たち。
幾分かは落ち着いてはきましたが、まだれいこがいない現実を受け止めることができません。今はまだ、心にポッカリ空いた大きな穴を抱えたまま、空虚な毎日を過ごしています。


もっともっと、書きたいことがあります。れいこのことで知って欲しいことがあります。聞いて欲しい、れいこへの思いもあります。
ですがまだ、気持ちを整理して綴ることができません。


とりあえず、今日はここまでにしたいと思います。
これからゆっくりと気が向くままに、少しずつ書ける範囲のことを、このブログに記していこうと思います。もしよろしければ、気長にお付き合い願えればと思います。

最後になりましたが、皆さんのお心遣いに、重ねてお礼を申し上げます。ご参列、弔電、お花、メール等のお礼もできていませんが、追ってご連絡差し上げたいと思います。失礼のほど、どうぞご容赦ください。


【ご参考】

れいこが星になった先週寄せられた、皆さんのお気持ちを集めたまとめを作成しました。
これは1,300以上のツイートをまとめたもので、れいこが私たちや皆さんに遺したものを感じ取れる内容だと思います。ぜひ、こちらもご覧ください。

他に、れいこの大事な友人とも言える方々や親御さんが、ブログで今回の訃報を取り上げてくださっています。以下のサイトも、ぜひご覧ください。

また、私たち夫婦の日々の気持ちは、Twitterで発信しています。
こちらはブログよりも早く、毎日何度も更新していますので、併せてご覧ください。
(父Twitter) @fight_Reiko
(母Twitter) @arikoyuko

妻はブログも書いていますので、そちらも併せてご覧ください。

2012-06-06

病気と明るく強く闘う、れいこ
【第343~345日目: 6月4日(月)~6日(水)】

2011年6月28日に始まったれいこの闘病記、343~345日目です。


○サヨウナラ、そしてありがとう、れいこ。

今日は、とても悲しい報告があります。
1年ほど続いていたれいこの闘病生活が、今日6月6日(水)、345日目をもって終わりを迎えることになりました。

前日夜から呼吸が乱れ始めたれいこは、数時間頑張り続けましたが、今朝1:45に亡くなりました。最後は、眠るように息を引き取りました。

お通夜と葬儀は、以下のとおり執り行います。


今日は、このご案内だけにしたいと思います。
今後のことは、このブログとTwitterの@fight_Reikoにて発信していきたいと思います。


皆さんに強い応援を頂き、れいこは果報者です。
今まで玲子を応援くださり、本当にありがとうございました。
最後まで頑張り続けた、れいこを褒めてやってください。


サヨウナラ、そしてありがとう、れいこ。

2012-06-03

病気と明るく強く闘う、れいこ
【第339~342日目: 5月31日(木)~6月3日(日)】

2011年6月28日に始まったれいこの闘病記、339~342日目です。

<●れいこの友達のみんなへ>

こんにちは!れいこのお父さんです。
いつも、れいこのことを心配してくれて、ありがとう。

このブログは、れいこの様子や私の気持ちを伝えるために書いています。
大人に読んでもらうつもりで書いているので、みんながもしこのブログを見たら、分かりにくいかもしれないね。

れいこは去年の6月には、お医者さんに「手術をしなければ、1年くらいしか生きられないかもしれない」とまで言われました。
だかられいこは元気になるために、2度の手術に挑戦しました。そして、手術は成功しました

れいこは今、他の治療を続けていて、少しずつ治しているところです。まだまた時間がかかるけれど、れいこは必ず元気になって、みんなの元へ帰ります。

でも、このブログは、私の気持ちを大人に対して伝えようと書いているので、みんなが読むと誤解させてしまうかもしれません。それが、ちょっと心配です。
だから本当は、ここで読むのを止めて欲しいと思っています。

れいこのことで何か伝えたいときは、学校の先生やお父さんお母さんを通じて、みんなにも伝えます。
だから、このブログを読んでもらう必要はありません。みんなを心配させたくないので、あえてこう書いておきます。

もしこのブログを読んで、不安になるようなことがあっても、心配しないでね。手術はちゃんと、成功したんだからね。 治療の途中で、一時的に具合が悪くなることもあるので、そうしたことが書いてあっても、心配しないでください。

みんなが、れいこのことを心配してくれていることは、先生やみんなのお父さんお母さんたちから、よく聞いています。れいこも、みんなの気持ちを、とても嬉しく思っています。
みんなからチカラをもらって、れいこも早く元気になれると思います。

れいこが帰る日まで、みんな待っててね!


<●大人の皆さまへ (特に保護者の方へ)>

このブログには、れいこの病状に関する情報を、ほぼそのまま掲載しています。
一方で、ここに記しているれいこの詳しい状況は、本人には伝えていません。れいこに話しかけて頂く際はもちろんですが、れいこに接する可能性のあるお子さん方にお話される際、ご配慮をお願いします。

お子さん方に話す必要があるときは、「れいこが頭にできた、悪いできものと闘っている。治るまでには、まだ時間がかかりそう」という点を、お伝え頂ければ幸いです。


お子さん方にとっても、友達がこうした大きな病気と闘っていることは、少なからずショックのようです。れいこはきっと元気になりますが、お子さん方のためにも、お話される際は十分にご配慮ください。

このような危惧をしつつも、あえてWebでの情報発信を行っています。皆さまのご配慮・ご協力をお願いいたします。



○緩和ケア病棟への移動完了

先日のエントリーでご紹介しましたように、れいこは27日(日)に急激に容態が悪化し、救急車で搬送されました。以来ずっと具合が悪く、主治医からも非常に厳しい示唆を受けました。
それを踏まえ、抗癌治療を止めて緩和ケア病棟へ移る決断をしたことは、先日お伝えしたとおりです。



5月31日(木)には、緩和ケア病棟の医師との打ち合わせがありました。
私たちからの要望、緩和ケア病棟の基本スタンスなどについて話し合いました。万一のことがあっても、本人に苦痛を与える延命処置は行わないことなど、話し合いました。

同日夕方には、小児病棟から緩和ケア病棟への移動を完了しました。
れいこの現状を考慮してくださったのでしょう、私たちには4室しかない特別室を措置して頂きました。とても広く、快適な部屋です。


先日も書きましたように、私たちは治療を断念したのではありません。
ここまで効果が出なかった抗癌剤に固執するよりも、家族・友人と過ごすことで、れいこの心が喜びで満たされ、奇跡を起こしてくれることを願っています。


れいこは今までも、何度も気持ちの大切さを、身をもって示してくれました。以下、妻のブログから。

今までもこんなことがありました。
マラソン大会で、一人でそれまで歩いたこともないような距離を歩ききったこと。
前日まで立てなかったのに、社会見学の日は立って歩いたこと。
食べられなくなっていたのに、院内学級の遠足の日、お弁当を食べたこと。
本人の意思で一時的にしろ、回復する力。
やはり、気持ちが一番病気に立ち向かう力になるのでしょう。

ここまで来たら医学よりも、れいこの生きるチカラに賭けたいと思います。
今こそ、ずっと空手で鍛えてきたれいこの強い心が、試されるときです。


○れいこへの見舞い+お手紙のお願い

れいこを応援くださっている、皆さんにお願いがあります。
ぜひ病院までれいこを、見舞いに来て頂けないでしょうか。

私たちは、れいこ自身の気力に全てを賭けています。この佳境で最後に頼れるのは、れいこ自身のチカラです。

そこで皆さんには、ぜひれいこを見舞ってやって頂きたいのです。特別なことは、不要です。れいこの顔を見て、声をかけ、手を握ってやって欲しいと思います。
それが、れいこの生きようというチカラを強くしてくれることと、信じています。

もしお越しくださる方は、以下の点をご確認ください。

  • 現在れいこの容態は悪化しており、喋ったり、自力で手足を動かしたりすることはできません。こちらが話すことは聞こえていますが、ほぼ反応できません。特にお子さんと見舞ってくださる方は、この現状をご理解の上、お越しください。
  • 緩和ケア病棟にいる状況であるという意味合いを、ご理解ください。れいこやお子さん方とお話になるとき、ご配慮頂ければ幸いです。
  • れいこの入院先は、大阪市立総合医療センター すみれ病棟18階です(交通アクセス)。


  • 面会時間の制限はありません。
    ただし、21時頃以降はれいこが就寝していると思います。
  • 中学生以下の面会も、歓迎です(前の小児病棟では不可でしたが、現在の緩和ケア病棟では可です)。れいこの友達の保護者の皆様、ぜひお子さんとれいこを見舞ってください。
  • お見舞い金やお見舞いの品については、ご放念ください。
  • 体調不良で面会できなくなったり、介助などで30分ほどお待たせする恐れがあります。念のため、Twitter @fight_Reikoでスケジュール等を確認頂くか、メールで事前にご一報頂けると無難です。私のメールは karatekalibrarian@gmail.com です。
  • 話のネタを用意してくださるのであれば、水木一郎さん、AKB48、チワワ、嵐、アニメのワンピース、リラックマ、くつしたニャンコ、雑誌「ちゃお」のネタなどを、れいこは喜びます(モノを買って来て欲しい、という意味ではありません)。


また、同時にれいこへの手紙も募集しています。
ご協力くださる方は、以下の点をご確認の上、お願いします。

  • れいこは今、返事を書ける状況ではありません。あらかじめ、ご了承ください。
  • れいこの視力は低下しており、自力では読めませんので、私たちが代読します。手紙そのものは、見せるようにはしますので、絵や色などによって、雰囲気は伝えられるかもしれません。
  • 宛先は、(病院ではなく)自宅でお願いします。住所をご存じない方は、上記メルアドまでお問い合わせ頂けましたらご返信差し上げます。
  • 継続的に手紙が届くと嬉しいです。折々に頂いても結構ですし、後日に書いて頂いても大歓迎です。
  • Youtube等ネット上にアップして、見られるようにして頂いても結構です。


れいこを応援くださっている皆さま、ぜひれいこのために、力をお貸しください。
「れいこ お助け隊」「れいこフレンズ」の皆さんには、先日メールにてお願いしたとおりです。よろしくお願いいたします。



○れいこの体調

救急車で運ばれて以来1週間、れいこは体調が優れないままです。

体温は毎日38度を超え、脈拍も140前後、血圧も140を越えることがしばしばです。血中の酸素飽和度も、ときどき80台以下まで低下しています。

左手の強張りがひどく、棒のように突っ張ることが多くなりました。左足は痙攣が多く、この数日はとても強く痙攣するようになりました。
喉に痰が絡むことも、しんどいようです。よく痰が絡んだゴロゴロという音を立てています。

呼吸が落ち着かないことが、最大の不安です。
咳き込んでは、ひどく息が乱れて、苦しそうにしています。一度咳が出ると、呟くような呻くような声で、とてもしんどそうにしています。

横にいるのに何もしてやれないことが、ひどくもどかしく、私たちの胸を締め付けます。



○千客万来

緩和ケア病棟に移って以来3日間で、50名以上の方々(!)が、れいこを励ましにお越しくださいました。

学内外の友達や、そのご家族。
学校の先生。
通っていた保育園の先生。
れいこが空手を習っていた先生方。
私たち夫婦がお付き合い頂いている友人・知人の皆さん。

れいこに、いろいろと話かけてくださった方。
ずっと、れいこの手を握り続けてくださった方。
また来られなくても、手紙やバルーン電報、メールに思いを託してくださった方。



皆さん、本当にありがとうございます。
れいこが元気になることができましたら、きっと皆さんのおかげです。お一人ずつ名前を挙げて感謝したいところですが、一緒にお礼を言わせて頂きますこと、どうぞご容赦ください。


この日は、チワワのラッキーにまで、面会することができました。病室には当然入れないものの、友人が連れて来てくれたラッキーと外で会うことができました。
表情を出すのも難しいれいこですが、このときばかりはかすかに微笑み、ラッキーを撫でてやることができました。


多くの皆さんにお会いでき、エールを送って頂けたこと。ラッキーを可愛がってあげたこと。
こうした喜びが、きっとれいこの明日を生きるエネルギーになることでしょう!



○介護休業を取得

私は職場で、正式に介護休業を取ることにしました。6月1日に人事課で手続きを済ませ、れいこが元気になるまで休みます。

この間は無給生活になりますが(涙)、れいこの正念場に、そんなことを言っていられません。1年前から温存してきたカードを、この佳境でとうとう切ることにしました。

併せて、公務以外の図書館関係の諸活動も、当分見合わせたいと思います。ダイトケン、トサケン、大阪市立大学大学院の活動等、ご迷惑をおかけすると思いますが、よろしくお願いします。

れいこに早く元気になってもらって、私も仕事に、図書館の諸活動に、大学院に、空手にも戻りたいと思います。



<●最後に、れいこへ。>

れいこへ。

毎日毎日、しんどい日が続くね。
お前は本当に、よう頑張っとると思う。


お父さんたちは、お前がしんどい思いをしとるのを見ることが、辛い。横にいるのに、何もしてやれないことが、何よりも辛い。


「何かして欲しい?」とお前に聞くと、調子がいいと頷いてくれるときがあるわいね。
でも、そのときに何をして欲しいのか、判らないことが多いよなあ。お前がして欲しいことがあるのに、それに応えられなくって、ホントにゴメンな。

毎日毎日、お父さんたちも辛い。
病気になったのが自分やったらいいのに、だとか、代われるものなら代わってやるのに、だとか、毎日無駄に考えてしまう。
マンガみたいに、命のローソクがあるんやったら、今すぐお前に全部あげるのにね。


今、頼れるものは、れいこの気力だけよ。
元気になりたい、生きたいというお前の強い気持ちだけが、この現状を打破する唯一の方法やと思う。その気持ちを少しでも後押しするために、この病棟にも移ってきた。

この週末、早速大勢の人が来てくれたね。
50人もの人たちが、お前のために、わざわざここまで来てくれた。Twitterでフォローして応援してくれている人も、900人近くにもなった。お父さんのブログも毎日、千数百回も読んでもろとる。


これだけみんなの応援があるんやけん、この気持ちはきっと伝わるはず。
お前が元気になることだけが、唯一の恩返しなんよ。

みんなの気持ちに、絶対に応えてくれ。
お前のいない日なんて、絶対に迎えることがないように。

絶対に病気なんかに負けるなや、れいこ。