2018-04-14

空手家図書館員でなくなる日…?

皆さんには、半生をかけて打ち込んだものが、あるでしょうか?
仕事を除けば、意外に少ないかもしれませんね。

イメージ:夕日と桜



★訣別


私の場合、図書館以外に半生をかけて打ち込んだと言えるものは、空手だけです。
…そして突然ですが、今回空手をやめました。

現役引退してこれからは指導に専念…ではありません。スパッと身を引きました。完全に、空手とは訣別です。もう私は、「空手家」ではありません。

本件はあまり図書館とは関係ないのですが、自分なりに悩み抜いた上で選んだ人生の転機ですので、気持ちを綴っておくことにします。
(今回は特別版ですので、「たった2分で読める」文字量ではありません)



★私の空手歴


初めて空手の世界に飛び込んだのは、大学生のとき。ですが入門直後に道場でひどく骨折して、そのまま一度空手を離れました。

やがて20代後半から、「このまま空手から離れると後悔する!」と思うようになりました。数年のうちに再開して今まで足掛け18年、現在の道場にお世話になりました。
8年のブランクを含めれば、実に四半世紀!長く打ち込んだものです。

特に30代半ばは、かなり熱中しました。
ピーク時は、週4回道場に通っていました。家族に隠れて道場に行ったり、空手ブログを作ったり、少年部しかない日(=自分の稽古ができない日)にまで指導に通ったりしていましたから、相当熱を上げていたのでしょう(頑張っている子供たちを、強くしてあげたかった!)。

道場は当初、「フルコンタクト空手」でした(いわゆる「寸止め」ではなく、実際に殴って蹴っていいルールです)。

その後、私の道場は、フルコンタクト空手から発展的に「実戦空手」を追求していくことにしました。例えば髪を掴んで喉を打ったり、打撃以外にも掴んで投げたり関節を取ったりするなど、ルールに縛られることなく身を護ろうとするものです。

自分が空手をする最大の目的は、万一のときに自分と家族の身を護れるようになることでした。ですのでこの方向転換は大歓迎で、改めて空手に熱中しました。

稽古動画
(古い稽古動画1:左ミドル→左ハイキック)



★訣別の理由


これだけ頑張っていた空手と訣別するのには、当然理由があります。

一番の理由は、道場の価値観と自分のそれとの乖離が、大きくなり過ぎたことです。
自分がこの道場を選んだ最大の理由は、目指すものとそのための稽古の体系が明確であったこと、そして(年功序列ではない)実力主義であったことです。

それが残念ながら、18年の間に道場の価値観も徐々に変わり、こちらも変わっていく私の価値観とは相容れないところまで来てしまいました。

それなりに図書館活動に打ち込み、かつ娘との時間を大切にしようとしている今、私は(自主稽古も含めて)武道には長い時間を割けなくなりました。40代で体は衰える一方で、その意味でも残された時間は非常に貴重です。
そして今、その限られた時間を、自分の価値観と異なる稽古には割けないと感じるようになりました。

(本来は決してそうではないはずですが、)表面的な手先の動作が最優先される「型」。現実にはあり得ない特殊なシチュエーションに特化した稽古。実戦を想定しているはずなのに、フルコンタクト制での組手。
さらには、実戦での能力とは無関係に、経験年数によりほぼ自動的に昇段・昇級する評価制度。

それぞれ意味がない訳ではなく、全否定はできません。ただ、私の価値観では、これらに意義を見出せなくなりました。
繰り返しになりますが、道場の価値観と私の価値観が乖離してしまった、ただそれだけのことなのでしょう(道場批判が目的ではないことは、明記しておきます)。

結果、私は道場を去ることに決めました。
それでも館長への恩、師範の空手への厳しい姿勢への尊敬は、今後もずっと変わることはありません。そのため少なくとも空手では、これから別の師を持つ気は毛頭ありません。

稽古動画
(古い稽古動画2:シャドー)



★思い返せば


空手に取り組んできた間、いろいろなことがありました。
仲間と重ねた稽古、少年部も連れて参加した数々の大会、飲みながら交わした空手談義などなど。退会を決意した夜は、そんな18年間が思い返され、ほとんど眠れませんでした。

ルールゆえか、大きなケガもしました。
累積で骨折6箇所、ひどかったのは左の上腕骨折です。滋賀の大きな大会に出かけたところ、1回戦で腕を折られ、初救急車+初入院+初手術に。(笑)



真冬に滝に打たれるという、空手チックな修行もしました(凍死しそうでしたので、たった1回きりで止めましたが)。



顔面殴打あり&プロテクターなしの大会では、たった2試合で半死半生に。鼻血が出過ぎて、前が見えないくらいやられました。↓では判りにくいですが、この後左目の上がお岩さん状態になって、大変でした。



いろいろありましたが、分けても小さかったわが子と空手に打ち込んだことは、宝物のような思い出です。
親に似て平凡な戦績でしたが、子供たちなりによく頑張りました。そのひどい骨折後の私の現役復帰戦も、そんな子供達に自分の闘う姿を見せたかったからこそのチャレンジでした。

お兄ちゃんが退会してからも、れいこは稽古に勤しみました。闘病が始まる直前まで、元気なれいこと一緒に道場に通った日々が、忘れられません。

れいこの懸命な闘病に比べれば、私は空手においても自分に甘く、心技ともに未熟なままでした。
あえて言うなら、18年に渡って自分に満足せず黒帯を締めなかったこと、それが自分の唯一のこだわりであり、れいこに誇り得るものかもしれません。

(これは尊敬する師範の話に感銘を受けてのものです。聞けば、1級になった後に自分が納得するまで、6年かけて技を磨いて黒帯に挑戦したとのこと。超人的な師範ですら6年を要して辿り着いた心技ですから、私もせめてその心意気だけは受け継ぎたいと考えてきました)

わしの帯の画像
(15年に渡って巻き、両脇がすっかり擦り切れた1級の茶帯)



★道場の皆さんへ


このような決断をしましたが、館長や師範、仲間たち、少年部の親御さん方には感謝の念しかありません。今まで、ありがとうございました。

特に、道場の皆さんがれいこの闘病を支えてくださったことは、忘れることができません。闘病後に開催くださった「れいこ杯」や、れいこに名誉初段を贈ってくださった館長・師範方の計らいには、本当に感謝するばかりです。



皆さんには退会を伝えもせず、あえて黙って道場を去ることにしましたことも、お許しください。
退会のことは口に出さなかったものの、最後の稽古日(昇段審査日)に一人ずつに声がけし、それぞれへのエールを送ったつもりです。最後に皆さんの前で師範との組手をさせてもらったのも、師範への感謝と皆さんへの私なりのメッセージです。

価値観の違いのため私は異なる道を歩むことにしましたが、これからも道場の皆さんが元気で、心身ともに強くなることを願っています。


★最後に


今後また武道に取り組むかどうかは、白紙です。
ただ、強くなりたいという思いは今も変わりません(ジャッキー・チェン世代ですから!)。おっちゃんではありますが多少の技量も身に付いていますし、少し休んでからまた武道のことを考えてみようと思います。

こうして生じた人生の転機、これを活かすも殺すも自分次第ですよね!
この決断をしてよかった、自分はもちろん仲間たちからも、後でそう思われるようにしたいものです。

最後に、図書館界の皆さんへ。
こうして私は空手を離れましたが、よかったら私のことは引き続き「空手家さん」と呼んでください。
もうこのニックネームは自分のアイデンディティになっていますので、今さら返上もできませんから!(笑) 今後も「空手家図書館員」を、よろしくお願いします。



●れいこと

れいこ、一緒に通った空手をやめることにして、ごめんな。
お前の分までずっと頑張るつもりやったけど、お父ちゃんはやっぱり、自分の気持ちに嘘はつけんかったんよ。


お前が空手に打ち込んどったこと、忘れんけんね。
また違う形で頑張っていくけん、これからもお父ちゃんを応援しとってな〜!


2018-03-10

(参加レポート)シンポジウム「図書館員は専門性をいかに維持・確保するのか」

先日、日本図書館研究会研究大会に参加してきました。
「たった2分で読めるブログ」ですので(笑)、2日目のシンポジウムに絞ってレポートします。

イメージ写真:青空



★シンポジウム「図書館員は専門性をいかに維持・確保するのか-各館種の現状と課題-」


開催趣旨やパネリストは、こちら
前回記事で、「司書」について書いたところでしたので、私にとってはタイムリーでした。

このテーマを巡る議論は、専門性あるいはその担保とは何か、といった本筋に加え、労働条件・雇用問題という論点も切り離せません。同日の議論も、この2点に収斂されていたように思います。

以下、雑感です。ツイートのまとめも、ご覧ください。

  • テーマが、「専門性の向上」ではなく「専門性の維持・確保」とされたことに、主催者による挑発を感じました。
    図書館界の現状を端的に示しているのでしょうが、それでも「向上」を目指した議論をしていくべきだと考えます(主催者批判ではありません、念のため)。

  • 発表は非常に興味深く、パネリストの熱量を感じるようでした。報告の多くは、個人による努力から脱却し、組織的に専門性を「維持・確保」しようとしたもので、方向性は極めて正しいものでした。
    (シニカルに見れば、こうした取り組みも個人の熱量に依存していますが)

  • 組織的な取り組みは欠かせませんが、それだけでもいけません。年数回の職場研修で、専門職を名乗ることなどできません。
    組織での取り組みは、全員に最低限の技能を担保しようというものに過ぎません。中心となって活躍する人材には、プロ意識にもとづいた個人的な研鑽がやはり不可欠です。

  • 自らの専門性を世間に訴えているのは、図書館員だけではありません。例えば保育など様々な職種でこうした専門性と労働条件を巡る議論が行われていますが、ほとんど外部に届きません。
    他職種も議論の成果を出せない中で、図書館員の専門性を社会に認知してもらうには何が必要か、さらに検討が必要です。

  • 労働条件・雇用問題の切実さを、再認識しました。登壇者全員が女性であり、その情熱や技量に関わらず労働条件に恵まれていないことが、社会の縮図のようでした。
    ここで声を上げるべきは、専任職員です。利用者によりよいサービスを提供できるよう、専門性を持った職員をしかるべき処遇で雇用することを、継続的に働きかけていくべきです。

シンポジウム開始前スクリーン写真



★議論を終えて


こうした議論の積み重ねは、即効性のあるものではなく、言わば共通認識づくりなのでしょう。価値観を擦り合わせ、全体意識を高めることが重要です。

ゆえに忌避すべきは、議論を聞いただけで、何もせず終わってしまうことです。こうして出来上がった共通認識を、僅かでも何らかの行動に繋げていくことが大切です。
(私の場合、ブログを書いて大勢に考えてもらうことで、議論に加わりそれを活かしているつもりです)

このブログをご覧くださった皆さんが、図書館員の専門性について考え、それぞれの小さな一歩に繋げてくださることを願います。



●れいこと

最後にまた、れいこ&きょーこの話を。

また春が、近づいてきました。
れいことお別れした年、春はまだれいこも元気でした。

れいこ写真

春は、れいことの楽しい思い出のある最後のシーズンです。
私たちにとって切ない日々ですが、きょーこの存在が救いです。

きょーこがこのまま元気に成長し立派なお姉ちゃんになったら、いつかれいこの話をしてやりたいと思っています。

2018-02-13

「司書」って誰のこと?

新年の抱負前回記事で新聞のことばかり書きましたが、今日は違う話を。

イメージ画像:緑の道



★「司書」という言葉


このブログをご覧くださっている皆さんなら、「司書」という言葉はお馴染みでしょう。
関係者は専門職といったニュアンスで、「司書が責任を持ってやらないと」、「選書は司書が行うべき」、「行政職ではなく司書の採用が必要」などと口にしているように感じます(特に公共・学校図書館で、多い印象です)。

こうした意味合いで「司書」という言葉が使われるとき、私はいつも考えてしまいます。
「司書」とは、誰を指しているのでしょうか?



★質的担保は?


普通に考えれば、司書資格を持った人を意味するのでしょう。もちろん私も、資格そのものを否定する訳ではありません。

ですが、そこに十分な質的担保や社会的評価が伴っているのか、ということを私は懸念せずにいられません。
単に資格を持った人を指しているのであれば、上例のように専門職を意味する文脈とすることが適切とは思えないのです。

並大抵ではない専門的知識や知見を有し、難関試験を突破しての資格であれば、社会も認めるでしょう。
ですが残念ながら、現行の司書資格はそうしたものではありません(だからこそ、認定司書などの試みが重ねられてきたのでしょう)。

厳しい言い方をするなら、たった20単位程度しか要さず毎年1万人も取得できる程度の資格(※)をもって、自分たちの専門性の根拠にすることには、明らかに無理があります。

(※)JLA「日本の図書館情報学教育」2005年版によれば、司書資格取得者は年間10,898人とされます(古い統計ながら、現在と極端に異なるものではないと思われます)。

イメージ画像:緑の公園



★自覚的であれ


では私たちは、「司書」という言葉を用いるべきではないのでしょうか?
私は、そうは言いません。むしろ逆で、自分たちの持つ資格に対して拘りや自尊心・気概を持つことは、プロとして重要と考えます。

「司書が責任を持ってやらないと」、と口にしていいのです。
ただし「司書」という言葉を使うときには、その言葉が本来意味するところに対し、誰より私たち自身が自覚的であるべきです。

単に資格を取った人を指してではなく、資格を取得した上で十二分な研鑽と経験を重ね続けているライブラリアンを指して、初めて「司書」と呼ぶべきでしょう。
結局のところ、これは私たちのプロ意識の問題なのです。

繰り返しますが、研鑽と経験を重ねてこそのプロであり、専門職です。
私たちが実力を身に付け、そうした意味でのみ「司書」という言葉を使うようになって初めて、私たちは社会から専門職と評価される資格を得るのではないでしょうか。

わざわざ自分たちで専門職と言わなくても、社会が自然とそう思評価する、そう思ってもらえる魅力的な図書館をみんなで創っていきましょう!



●れいこと

最後にまた、れいこ&きょーこの話を。

先日きょーこは、4歳半になりました。
ここまで、本当に健やかに育ってくれています。

おサルの被り物をしたきょーこ

大学生のお兄ちゃんが手を離れた今、私たちの願いは、きょーこが健やかに育つことだけ。
このまま元気に育ってくれれば、それだけで構いません(その割に、毎日しょーもないことでブツブツ言ってしまいますが・・・)。

いつかきょーこが、れいこのことを分かるようになり、年齢も追いつく日が来るのでしょう。
それを考えると複雑な気持ちですが、今はきょーこに毎日元気に過ごしてもらえるよう、両親ともども頑張ります!