2012-05-29

病気と明るく強く闘う、れいこ
【第331~336日目: 5月23日(水)~28日(月)】

2011年6月28日に始まったれいこの闘病記、331~335日目です。

<●大人の皆さまへ (特に保護者の方へ)>

このブログには、れいこの病状に関する情報を、ほぼそのまま掲載しています。
一方で、ここに記しているれいこの詳しい状況は、本人には伝えていません。
れいこに話しかけて頂く際はもちろんですが、れいこに接する可能性のあるお子さん方にお話される際、ご配慮をお願いします。

お子さん方に話す必要があるときは、「れいこが頭にできた、悪いできものと闘っている。治るまでには、まだ時間がかかりそう」という点を、お伝え頂ければ幸いです。


お子さん方にとっても、友達がこうした大きな病気と闘っていることは、少なからずショックのようです。れいこはきっと元気になりますが、お子さん方のためにも、お話される際は十分にご配慮ください。

このような危惧をしつつも、あえてWebでの情報発信を行っています。皆さまのご配慮・ご協力をお願いいたします。



○れいこの友達のみんなへ

こんにちは!れいこのお父さんです。
いつも、れいこのことを心配してくれて、ありがとう。

このブログは、れいこの様子や私の気持ちを伝えるために書いています。
大人に読んでもらうつもりで書いているので、みんながもしこのブログを見たら、分かりにくいかもしれないね。


れいこは去年の6月には、お医者さんに「手術をしなければ、1年くらいしか生きられないかもしれない」とまで言われました。
だかられいこは元気になるために、2度の手術に挑戦しました。そして、手術は成功しました

れいこは今、他の治療を続けていて、少しずつ治しているところです。まだまた時間がかかるけれど、れいこは必ず元気になって、みんなの元へ帰ります。

でも、このブログは、私の気持ちを大人に対して伝えようと書いているので、みんなが読むと誤解させてしまうかもしれません。それが、ちょっと心配です。
だから本当は、ここで読むのを止めて欲しいと思っています。

れいこのことで何か伝えたいときは、学校の先生やお父さんお母さんを通じて、みんなにも伝えます。だから、このブログを読んでもらう必要はありません。みんなを心配させたくないので、あえてこう書いておきます。

もしこのブログを読んで、不安になるようなことがあっても、心配しないでね。手術はちゃんと、成功したんだからね。 治療の途中で、一時的に具合が悪くなることもあるので、そうしたことが書いてあっても、心配しないでください。

みんなが、れいこのことを心配してくれていることは、先生やみんなのお父さんお母さんたちから、よく聞いています。れいこも、みんなの気持ちを、とても嬉しく思っています。
みんなからチカラをもらって、れいこも早く元気になれると思います。

れいこが帰る日まで、みんな待っててね!



○院内学級の遠足

24日(木)は、院内学級の遠足でした。
この日れいこは、お母さんにも付き添ってもらって、大阪市立科学館へ出かけました(私はどうしても外せないガイダンスがあったため、泣く泣く出勤していました)。

遠足には、院内学級の友達・先生はもちろん、病院の先生や看護師さんまで同行してくれました。ですのでれいこも、安心して参加することができました。

プラネタリウムを見たり、みんなでお弁当を食べたりしました。
この日れいこは体調もよく、久しぶりに(栄養チューブからではなく)自分の口で、少しご飯を食べることができました。

みんなで、とても楽しい時間を過ごすことができたそうです。良かったね、れいこ!



合わせて、院内学級のことも少し。
今年度から院内学級は、従来の普通の小学校から、特別支援学校が母体に変わっています。そのため、先生方も特別支援のスペシャリストで、しっかりとれいこをサポートしてくださいます。

れいこが授業に参加できないときも、いつも病室まで来てくれて、れいこと話をしたり私たちの相談に乗ってくださったりします。
先生方、いつもれいこのサポートをありがとうございます!



○容態、急変。 救急車で搬送された、れいこ。

27日(日)、れいこは救急車で病院に搬送されました。外泊していた自宅から、入院先の大阪市立総合医療センターまで、直行でした。

25日(金)の夕方、外泊で病院を出る前に、37度台なかばの熱がありました。それに、脈拍が150ほども。
外泊は微妙な状況でしたが、主治医と相談すると、家族で判断して構わないとのことでした。おそらく、抗癌剤を投与した直後でしたので、一時的な体調不良ではないかと思われました。

そこで外泊させることにしたのですが・・・土曜1日は平静だったのですが、日曜に具合が悪くなりました。


昼ごろに体が熱いのに気付き、熱を計ると38度5分ありました。
すぐに大阪市立総合医療センターへ電話し、指示どおりに熱を逃がしたり、鎮痛解熱剤ロキソニンを飲ましたりしましたが、結局熱は下がらず。17時頃には、39度5分まで上がりました。

病院に電話すると、意識があるか確認しろとのこと。
慌ててれいこに呼びかけましたが、全く返事がありません。電話の指示で、すぐに救急車を呼んで、大阪市立総合医療センターへ搬送するように、とのことでした。

救急車が来て、親子3人で飛び乗り、18時頃には大阪市立総合医療センターへ。
一時は体温41度、脈拍数200超の状態でしたが、先生や看護師さんの適切な処置もあり、20時頃にはやや落ち着いた様子になりました。


落ち着いてくると、れいこはこちらの呼びかけに対し、かすかに手や口を動かせるようになりました。血液やレントゲンの検査結果でも、特別な異常は見当たらず、まずは経過観察ということになりました。


この日は、お兄ちゃんを家に置き去りにしてきましたので、妻に病院に泊まり込んでもらい、私は帰宅することになりました。
れいこを病院に残すときはいつもそうですが、この日ばかりは本当に辛かったです。

救急車に乗っている間も、辛い・・・と言うよりも、血液が凍りつくような恐怖がありました。
最悪の想像をしなかったと言えば、嘘になります。れいこを失うことになったりしたら・・・病院に着くまで、そんなことばかり考えていました。

それでも、れいこがこのピンチを乗り越えたことを、ひとまずは喜んでおこうと思います。



○一夜明けて

さて、一夜明けてれいこは、体温も37度、脈拍も130台に下がりました。
しかし残念ながら、やはり体のコントロールは、ほぼ効かない状態のようです。声も出ず、手足もほとんど動きません。首を動かしたり、瞬きしたりすることもできません。

今までは、不明瞭ながら声も出ていましたし、右手や首は多少動きました。これまでと違い、現時点では自分でコントロールできる部分が、ほぼ無くなった様子です。


それでも、僕が朝に駆け付けた際に「お父さんが来たよ!チューしよう!」と言うと、首を振ってイヤイヤをしました(余程、イヤだったのか・・・?)。ときどき、手足を動かしたり、頷いたり、かすかに声(?)を出したりすることができるようです。

ただし、いつも自由になる部分がないため、決定的に意思疎通が困難です。
例えば、いつも瞬きさえできれば、それでYes/Noくらいは意思表示できるのですが、そうはいかないようです。


そんな訳で、今日はずっとベッドで過ごしました。
お父さんが、れいこの顔の前に「ちゃお」を置いて、朗読をしたり。@wasami0722さんが贈ってくれた、「名作玉手箱」という本を朗読したり。AKB48の音楽を聴いたり。ベッドで手足を伸ばすリハビリをしたり。

ずっと黙って寝ているより、少しは楽しんでもらえたかな?ときどき、かすかに笑みを浮かべているようにも見える、れいこの表情が救いです。



○主治医との相談

28日(月)の朝、主治医と相談をしました。
率直に言って、非常に厳しい内容でした。以下、主治医から聞いた内容です。

  • とりあえずの危機は去ったが、腫瘍が進行しており、非常に良くない状況。
  • 今まで、主要な治療はだいたいやってきた結果としての現状がある。標準治療的なものは、やってきた。今後別の薬を試すことはできるが、可能性は不明瞭。今後は、治療から緩和ケアへシフトする方がよいのでは?
  • 声に出したり体を動かしたりはできないけれど、本人の意識はある。苦痛を取り除き、少しでも本人にとって充実した時間を過ごしてはどうか。
    どうするかは、家族の判断次第。病院で見てもいいし、自宅に連れて帰って過ごさせてやってもいい。
  • 緩和ケアへシフトするのであれば、院内に緩和ケア病棟があり、そちらに移転することもできる。緩和ケア病棟は個室になり、飲食したり、家族が宿泊したりすることもできるし、(小児病棟では禁止されている)子どもの見舞いも可能。
  • 今週末の修学旅行については、医師としては勧められない。万一の際の緊急対応に不安があるし、旅行先の病院に収容されると、家族も大変。この状態で本人が楽しめるかどうか、という点もある。

(ここには書いていませんが、もっと直接的な話もありました。ここでそれらを全部書くべきかどうか、いささか躊躇しています。とりあえず、上記の内容から、行間を読んで頂ければと思います)


決めなければいけないことは、2つあります。
今後の方針として、治療と緩和ケアのどちらを選ぶか。今週末の修学旅行をどうするか。この2点です。

まず、判断できたのは、修学旅行です。
残念ながら、修学旅行は欠席することにしました。今のれいこに、無理はさせられません。
れいこにそのことを伝えると、必死に口を動かそうとし、首を振って、嫌がる素振りを見せました。 修学旅行に行きたいと、強く願っていた、れいこ。さぞかし、辛いことでしょう。


学校にも電話し、主治医の話とともに、欠席することをお伝えしました。
打ち合わせの場も持ってくださり、各所に手配してくださった先生方。「れいこ、一緒に行こう!」と、全員で手紙を書いてくれたクラスメート。
それなのに欠席してしまうことになり、申し訳なく、辛く、悲しい思いでいっぱいです。


もう1点、今後の治療方針が課題です。
とりあえず、今週いっぱいは元々の抗癌剤治療を続けることにしました。この薬の効果が出るならそろそろで、そこに一縷の望みを託しています。
もう数日治療を続けた上で、続行か緩和ケアか、考えてみたいと思います。


れいこの1年にも及ぶ闘病生活は、とうとう9回裏を迎えたのかもしれません。私たちは、このまま敗れるのか?長い延長戦に突入するのか?あるいは、奇跡が起きるのか?
苦戦が続きますが、私たちはまだ、れいこの逆転満塁サヨナラホームランを信じています。



○皆さんへの感謝

この週末、とりわけ昨夜から、とても多くのメール、ツイート、お電話などを頂きました。
大勢の方々が、私たち夫婦のツイートを見てくださって、れいこの無事を願い、私たちの身を案じてくださっています。本当に、ただただ感謝です。
(頂いたメールやツイートには、ほとんど返事をできていませんが、ご容赦ください)

頂いたメールなどが、私たちを支え、気持ちを強くしています。井上家だけで闘っているんじゃない、みんなが応援してくれている、と強く感じています。



昨日は、宝塚市の救急車の方々、大阪市立総合医療センターの先生や看護師さんたち、電話対応してくださった担当看護師さんの落ち着いた対応ぶりとお心遣いに、救われました。
あのままもたもたしていたら、れいこは本当に危険な状態になっていたかもしれません。皆さんは本当に、れいこの命の恩人です。心から、感謝しています。

れいこの担当看護師さんは、今も夜勤の間に、わざわざ私のところへ話をしに来てくださいました。れいこだけでなく、私たち夫婦まで気遣ってくださる看護師さん。この方にれいこをお願いできて、本当に良かったと思います。

臨床心理士さんは、いつも妻の気持ちを受け入れてくださっています。悩み、心が折れそうなとき、いつも話を聞いてくださる方がいるということで、どれほど私たちが救われているか。
この方や病院の保育士さんたちは、いつもれいこに声をかけてくださいます。ビーズプログラムもご担当くださっていて、それはれいこの誇りになっています。

地元小学校の担任の先生は、今日お電話したときに、れいこのために涙を流してくださいました。 先生も、れいこだけでなく、私たち夫婦のことまで、心配してくださいました。


こんなときに皮肉めいていますが、れいこは幸せです。
こんなに多くの方々が、れいこを案じ、無事を祈ってくれているのですから。こんなにいい先生や病院の方々に支えられているのですから。

これが最後の最後になって、土壇場でのれいこの生きるチカラになってくれることを願っています。皆さんの思いに応えるよう、頑張ろう、れいこ!



<●最後に、れいこへ。>

れいこへ。

この週末は、大変やったな。何と言っていいのか、お父さんも言葉が見付からん。

日曜は、しんどかったんやろうなあ。救急車を呼ばんといかんようになる前に、ちゃんと気付いてあげんといかんかったわいな。 朝からずっと寝てたんやし、おかしいと思ってやらないかんかった。



たった1日の間に、お前の具合がこんなに悪くなるなんて。
お父さんやお母さんも、信じられない思いでいっぱいなんよ。悪い夢を見とるような気がしとる。

何も言えない、体のどこも動かせないって、辛いわいなあ。本当に、代われるもんなら、今すぐにでも代わってやるのに。

修学旅行のことも、さぞや辛かろうな。
あんなに楽しみにして、ずっと励みにしとったんやもんなあ。この前、クラスのみんなからの「れいこ、一緒に行こうな!」って手紙を、もらったばっかりやったのに。
お父さんたちが手紙を読み上げたとき、あんなに嬉しそうに聞いとったのに。


お父さんたちは、今、主治医の先生との相談ですごく悩んどるんよ。お前のこれからの治療方針を、どうしようかと相談されとるけん。
どういう治療を選んだら、お前にとって一番いいか、本当に悩んどる。あと数日のうちに、結論を出さんといかんけん、よう考えるわいな。絶対に悔いを残さんように、するけんな。


そうそう、みんなからすごい数の応援メールもろとるんぞ。
明日、いっぱい読んで聞かせてやるけんな。これだけの応援が来とるんやけん、絶対にその気持ちに応えちゃろうな。
今はちょっと体が不自由やけど、みんなの応援に応えるためにも、絶対に良うなろな。


今日お父さんは、お前が元気になったら、修学旅行に行けんかった広島に、家族で行くって約束したわいな。早く元気になって、家族で広島旅行に行こうな。
また新しい約束が増えたんやけん、絶対に元気になれや。

約束やぞ、れいこ。

1 件のコメント:

のんちゃんママ さんのコメント...

コメントするか 迷ったのですが… 娘は26日深夜1時に 天使になりました。帰宅時 我が家の上空に羽衣のような虹が掛り“神様がお迎えにきたんだ”と感じました。(キリスト教徒ではありませんが…)
 実は私自身 三月末まで公立保育園の保育士をしていて れいこさんご家族と共通点が多く、今まで沢山元気をいただき 本当に感謝しています。
 娘は4月2日に嚥下困難と発熱により再入院になり その時点で緩和療法の話がありました。夫の父が延命治療を行い 後悔していること、私の母が介護福祉士であり 娘の苦痛が少しでも和らぐ事を望んでいたこともあり、さんざん悩みましたが 緩和ケアを決断しました。
 もし 娘の病気が1%でも治る望みがあったら 最後までどんなに辛くても治療をがんばらせてしまったと思います。しかし 今思えば 昨年の10月に「今の医学では治せない」とはっきり言われ 望みを持ちつつも 娘が必死でがんばっているのを 見守ることしかでず、がんばらせるのが本当にかわいそうで…ひとつずつ階段を下りるように 最後まで本当によくがんばり、お別れする為に7カ月という時間をくれたように思います。
 そして今思うのは 私たちは天使になる子を産み、9年6カ月という早すぎるお別れのための心の準備をする時間を のんちゃんがくれたのだと思っています。
 全然参考にならないかとは思いますが、ご両親のお気持ちを想うと コメントせずにいられず… 申し訳ありません。