私の至らなさはお察しの通りですが、旧知の方が大勢ご参加くださっていたことに、とても勇気づけられました。皆さん、ありがとうございました!
★桜田五輪相の「がっかり」発言
桜田五輪相が有力選手の病気の報に触れ、「がっかり」と発言した件は、皆さんもご存じでしょう。
発言の2日後には、大手全国紙が社説にも取り上げるなど、メディアやネット上で、同氏への批判が集中しました。
この一連の報道で、私は疑問に感じるところがありました。今日は「たった3分」(笑)くらいで、思うところを綴ります。
何しろ私、自称「新聞スペシャリスト(見習い中)」ですから。(笑)
★インタビュー全体を見れば
最初の報道から数日で、新たな動きが出てきました。
インタビュー全体の画像が放送・配信されると、「がっかり」が発言の主旨ではなく、多くの報道が不適切な言葉の断片の切り取りだったのではないか、という指摘が出されました。
私も全体を通じた動画を見て驚くとともに、それまでの批判的な報道(※)とは、全く違う印象を持ちました。
インタビュー全体を見れば、「がっかり」だけをことさらにクローズアップするのは、適切とは考えられませんでした。
そこだけを切り取って批判した今までの報道が適切だったのか、また新たな論争になるだろう、と私には思えました。
(※)中には、「同氏が『がっかり』と発言した」という事実のみを記した、一見ファクトに見える報道もありました。ですがその事実は断片であり、全体の文脈を捉えずそこだけを恣意的に取り上げている点に疑問を感じます。
★新聞の対応は…?
ところが、その新たな論争について、新たな新聞記事はほとんど出ませんでした。
そこで、全国紙5紙のデータベースを使い、本件に関する記事を一通り読んでみました。
5紙すべてが本件について報道し、うち4紙は、複数回記事を掲載していました。その多くは、発言後まもなく批判的論調で書かれたものや、本人による「撤回」を報道するものに留まりました。
この発言をめぐる報道のあり方が不適切だったのではないかと論じた記事は、2紙に1度ずつ掲載されたのみでした。
(両記事は、「がっかり」だけを過度に取り上げた報道を、批判的に振り返ったものでした。ただし記事によっては、自紙における初回の報道に関する記載や反省が記されておらず、もう少し踏み込んで欲しかったとも感じます)
★新聞への期待
フェイクニュースが飛び交う現代において、新聞の果たすべき役割は、ますます大きくなっています。
その新聞が、ある発言の断片だけを捉え過剰に批判するのは、いかがなものでしょうか。
もちろん「がっかり」発言は軽率のそしりを免れるものではありませんが、発言全体としては選手の身を案じるもので、極度にバッシングされるようなものではなかったと考えます。
残念ながら、政権に批判的な新聞では、(恣意的なものかどうかは判断しかねますが)過剰な批判をしているように思えました。
他方、政権寄りの新聞では積極的にこの件に触れたくない意図が透けるようで、違う形の報道もできたろうと考えます。
新聞に主義主張があるのはいいことですが、自分たちの日頃の主張に沿って、恣意的に特定部分だけを取り上げる(あるいは報道すべきことを恣意的に取り上げない)ことがあってはなりません。
この状況で新聞がすべきだったことは、一連の「がっかり」発言を冷静に振り返り、自社を含めてメディアに省みるべき点があれば、それを明らかにすることだったのでしょう。
多くの新聞はこの10年で、2〜3割の購読者を失っています。
ネット全盛の今こそ、新聞ならではの知見と客観性や公平性、高い倫理観を持って報道に当たって欲しい、と願います。
★図書館員の立ち位置から
このブログでも、新聞を重要な存在と思うが故に、ときに批判的な記事を書いたこともあります。繰り返しますが、こんな時代だからこそ、新聞の役割は重要です。
各紙にはそれぞれの姿勢やポリシーがあり、それが新聞の多様さや豊かさにつながっている反面、それが悪い方向に働くこともあるかもしれません(少なくとも本件は、総じて最善であったとは考えられません)。
私たち図書館員は情報のプロフェッショナルであるからこそ、新聞をはじめとする報道を、常に批判的に受け止める必要があります。
そして、どんな媒体であっても絶対ということはあり得ない前提でもって、情報サービスを行うべきでしょう。
複数の情報を比較・検証し適切な評価・利用ができる成熟社会を、図書館員が利用者さんと一緒に作っていければ、と考えます。
●れいこと
最後にまた、れいこ&きょーこの話を。
このところ関西では、急に寒さが和らいで、春を感じるようになりました。
春はれいこが最後に元気だったシーズンで、毎日毎日れいことの日々を思い出します。
車椅子に乗っていたれいこが、3月の遠足で立ち上がり、わずかとは言え自分の足で友達と歩いたことに、私たちは大きな希望を抱いたものです。
春は、ちょっと切ないシーズンです。
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