2013-06-15

あなたの所属している場所は?

図書館で働いている、皆さま。
今日は、あなたが退職する日のことを考えてみましょう。異動で図書館を離れる可能性がある方でしたら、そのことを考えてもいいでしょう。

例によって、関係ないれいこの写真。

以前からよく口にしていることではありますが、先日のライブラリーキャンプでもこの話が出ましたので、一度ここでも記しておきましょう。


○あなたの所属している場所

今日問いかけたいのは、あなたはどこに所属しているのか、ということです。それは、あなたの今の職場でしょうか?それとも、もっと違うものでしょうか?

判りやすい例を、挙げましょう。
「異動で図書館を離れたので、●●研究会を退会します」だとか、「退職するので、図書館活動を辞めます」などといった話、よくありますよね?

・・・これ、あまりにも寂しい話だと思いませんか?


図書館のことだけに限らず、人と情報のあり方について、日々考え、研鑽し、実行しているはずのライブラリアン。
情報のエキスパートであるそのライブラリアンが、図書館を離れただけでその活動をスッパリ止めてしまうことなど、あり得るでしょうか?

本当に情報のスペシャリストであれば、自分が図書館に勤務しているかどうかで、その行動が左右されるとは思いません。
その道の真のスペシャリストが、現場にいないくらいで、その世界との関わりを断つでしょうか?自分のアイデンティティーを、そう簡単に放棄できるものでしょうか?

ライブラリーキャンプで出た例に、教員の多くは退職しても研究者を続ける、という話がありました。教員の場合、非常勤などはもちろん、在野の研究者といったケースも少なくありません。
それに比べ、異動や退職で現場を離れた図書館員が図書館と関わりを断つケースは、あまりにも多いような気がします。

「大手企業A社のB部長」ともてはやされている人は、退職したら何も残りません。なぜならB部長は、その能力や才覚でなく、A社の看板があっての人物だからです(もちろん、例外はいるでしょうけれど)。
A社の看板がなくなったときに、B部長はどれほどの人望があり、どれほどのことをできるのでしょうか?


○もし私が質問されたら

先の「あなたはどこに所属しているのか」という質問に、戻りましょう。
私がそう質問されたら、「図書館の世界」あるいは「情報の世界」と答えるでしょう。今勤務している「●●短期大学」とは答えません。私はあくまで、ライブラリアンだからです。

仮に私が今、異動になって図書館を離れても、自分の属性がライブラリアンであることに変わりはありません。
その時点での勤務先、という意味では図書館員ではないかもしれません。ですが自分の専門性、そして何より気持ちの上で、ライブラリアンであることが揺らいだことはただの一度もありませんし、これからもずっとないでしょう。

誤解を恐れずに言えば、今勤めている短大よりも、図書館という世界の方が大事です。職場の改善以上に、図書館界が良くなること、ひいては社会良くなることの方がが大切です。それが、ライブラリアンというものではないでしょうか。


こうした観点に立てば、ライブラリアンには、図書館で勤務することすら求められないのかもしれません。
先の研究者が退職した例を挙げてくれたのは、かのアカデミック・リソース・ガイド株式会社(ARG社)の岡本真さんです。彼は、図書館勤務こそしていないものの、この世界のオピニオン・リーダーでもあり、何より図書館に対する強い情熱を持っている人物です。

そんな彼をライブラリアンと呼ぶことに、私は何の違和感も感じません。むしろ、彼のような人物こそライブラリアンと呼ぶべきなのかもしれません。


○反論と、そのまた反論

もちろん、私の意見と違う考えもあるでしょう。
私立大学などにおいては、人事異動で図書館を離れることも一般的で、「図書館員である以前に大学職員」という考え方もあります。

それを否定するつもりもありませんし、そうした視点も非常に重要なことです。特に、図書館外への異動を経験したことのない人にとっては、非常に重要な価値観と言えるでしょう。
(私自身、図書館を4年離れた経験を持つからこそ、そう思います)

しかし、その価値観を認めた上で、それでもあえて私は言います。
この価値観以上に、今の図書館員にとって必要なのは、ライブラリアンとしての自覚であり、情熱であり、思いです。スペシャリストが、スペシャリストたり得るのは、何よりもそのマインドがあるからこそです。

そして残念ながら、今の多くの図書館員に欠けているのは、このマインドだと思わざるを得ません。


皆さんは、いかがでしょう?
退職したときに、あるいは異動で図書館を離れたときに、皆さんが所属する場所はどこなのでしょう?

私たち同士がつながり、研鑽を積み、お互いに感化し合うことで、こうした意識の持ち方も変わっていけるのかもしれません。
自分のことを、情報のスペシャリストとしてのライブラリアンだと、自然に思えるようになることが大事なのでしょう。

そして、異動や退職の後でも、自分のことをライブラリアンだと言える人物こそが、今の図書館や情報の世界に求められている人材なのではないでしょうか。
「情報のチカラで、世界をもっと幸せにする」のは、きっとこうした気持ちを持つライブラリアンだと思います。



●れいこと

昨日、れいこの通っていた小学校に行ってきました。
卒業アルバムが完成したとのことでご連絡を頂き、受け取りに行って来たのです。

先生方のご配慮もあったのでしょう。れいこは6年生になったばかりで星になりましたが、卒業アルバムには、何枚もれいこの写真を載せてくれていました。本当に、嬉しいことです。


一方で、いろいろな思い出の残る小学校に行くことは、やはり辛いことでもありました。
今は中学生になった、れいこの同級生が大勢来ていて、私にも声をかけてくれました。その気持ちはとても嬉しいのですが、この輪の中にれいこがいないことは、やはりどうしても受け入れることができません。

れいこさえ、傍にいてくれれば・・・毎日毎日、そんなことばかり考えます。
僅かな救いは、れいこの笑顔がこうしてみんなの手元に残り、みんながずっとれいこのことを忘れずにいてくれるだろうと思えることです。

本当にいい先生や仲間たちに恵まれたれいこ。このアルバムと一緒に、ずっとみんなの胸の中に生きていくのでしょう。



それでは、押忍!

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