○きょーこの一ヶ月検診
きょーこがわが家に来てくれて、はや一月あまり。
今日は、一ヶ月検診に行ってきました。おかげ様で、検査の結果も異常なしでした。
きょーこの成長ぶりは、惚れ惚れするほど。
生まれてからわずか5週間で、身長は52cmから58cmへ、体重にいたっては3,768グラムから5,450グラムへと、すくすくと成長しています。
今日一緒だった同月生まれの赤ちゃんは、4,000グラムちょっとくらいの子が多かったようで、きょーこは一回り二回り大きい感じでした。
わが子が元気に育ってくれることほど、親にとって嬉しいことはありません。これからもきょーこが元気に育ってくれること、ただただそれだけを願っています。
○れいこのこと
きょーこが元気であるのにつけ、一方でれいこのことを思い出します。
何十回も、何百回も、手をつないだこと。楽しく笑ったこと。肩枕で一緒に眠ったこと。絶対に病気が治ると信じ、必死に闘ったこと。
一人で過ごす夜は、れいこのことを思い出しては、悶々と思い煩います。いくら思い煩っても詮無いことですが、そうせずにはいられません。
今日、ふっと気付いたことがあります。
毎日通勤時に聞いていた音楽を、いつの間にか聞かなくなっていました。
何気なくケータイを取り出し、再生回数トップリストを見て、その理由が判りました。いつもれいこと一緒に聞いていた曲が、たくさん入っているからです。
れいこが大好きだった、いきものがかりの「ありがとう」。
「ありがとうって 伝えたくて」
「いつまでも、ただいつまでも あなたと笑ってたいから」
「愛してるって 伝えたくて」。
そして、これもれいこが好きだった、GReeeeNの「キセキ」。
「明日、今日よりも好きになれる」
「いつまでも君の横で 笑っていたくて」
「いつも君の右の手のひらを ただ僕の左の手のひらが そっと包んでく それだけで ただ愛を感じていた」
「明日、今日よりも笑顔になれる 君がいるだけで そう思えるから」
これらはれいこが好きな曲であると同時に、れいこに対する自分自身の思いでもありました。
れいこの車椅子を押しながら一緒に聞いて、涙を流したこの曲。
今はただ、哀しい曲でしかありません。今夜は一人これらを聞いて、涙が流れるばかりです。
自分は薄情だな、と感じます。
れいこがいなくなったのに、毎日普通に寝起きして、普通に仕事も行って、何もなかったかのようにご飯も食べています。
大きな大きな心の隙間があるはずなのに、ごく普通に毎日を過ごしています。周りの人には、ごく普通の日常にしか見えないでしょう。
もしかしたら、れいこのために涙を流しているのではなく、れいこを失った自分が可哀想なだけかもしれません。
自分は弱いな、と感じます。
一人でいると、音楽ひとつでこうも感傷的になってしまいます。
思うに私は、れいこを失ったという事実と向き合うことを、今も恐れているのでしょう。
この気持ちを誰かに向かって泣いて喚いて伝えたい、心の奥できっとそう願っています。この気持ちを吐き出してしまいたいのですが、そうする勇気もなく、Twitterやブログに綴ることで逃げているだけなのかもしれません。
きちんとそれに向き合えず、Webに向かって泣き言を言っているだけなのでしょう。
一緒にこの悲しみを背負ってくださっている方々が、大勢いることも判っています。ここに書くことで、何か優しい一言をかけて欲しいと、心の奥底で甘えているだけなのかもしれません。
今夜はただ、思うままに胸の内を書散らしました。
私は今夜のこの気持ちを整理できず、ゆえにを締めくくる言葉を持ちません。一人でこの気持ちを背負い切れずに、書散らしただけのことと、読み流して頂ければ幸いです。
ずっとこれからも、れいこを抱きしめていてやりたい。
ただただ、そればかりを願っていただけなのに。
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